3/6(火)は、特異日だった。
・弟や知人から、最近顔を出していない店のママ的人物から、ご無沙汰じゃんかお出してよ、のメッセージを受け取っていたここ数日。
・渋谷で関西出身の敏腕プロデューサーY氏と打合わせ。【関西1】
・Y氏とは、写真SNSや、どうやってハイポテンシャルデジカメの写真を楽しむかの話しもする。【写真1】
・その帰り、渋谷の街で、上沼恵美子に激似のおばちゃんとすれ違い、激しくアがる!(関西有名人で一番好きな人が上沼恵美子。あんな人が親戚にいればと・・・w)【関西2】
・高円寺に行って、地元のキャプテンS氏と打合わせ。今後の高円寺プロジェクトに関して有意義なお話しができる。
・事務所に戻ると、K氏が来社。みんなでご飯を食べる事になる。K氏は面識はあるが親しく話すのははじめて。K氏がバリバリの関西弁人。K氏からは、帰りの電車でよいお話しを聞く。【関西3】
・ご飯食べて帰宅の割には早い時間の22時、新宿。先の、ご無沙汰じゃんの店も新宿で、火曜にしかママ的人物に会えないので、お!っと思って新宿2丁目の店を目指す。
・店は、久しぶりにカオスキャストずらっと勢揃いな感じ。
・ママ的人物から、超大物カメラマンから写真のモデルを依頼されている話しを聞く。その大物カメラマンの作品性としてヌードになるのは必至。写真好きのわたし、カウンターにいた他の写真好きのお客さん(いずれもNikonのいいカメラをその時持ち歩いていた。で、カメラをいじっているうちにヌードどう思う?っていう話になった)【写真2、3】
・ママ的人物、実は、いい一眼レフカメラが欲しい・・・という話しもその前に出てて、原田の持つカメラで試撮して気にいいるが、Canonも試した方がいいとアドバイス。【写真4】
・なおかつ、上述大物カメラマンにカメラなんかもらえるじゃん! 的な楽観論【写真5】
・そこへ、滅多に来ない、某芸術大学で写真系を教える、ま、いわば、写真のプロも登場。さらにモデルの件について深い話しになる。【写真6】
・終電で帰るつもりが、26時過ぎ。
・久々に、歩行業を敢行。新宿から板橋の自宅まで歩行禅。
・やっぱ、ただ歩く時間は、よい思考時間になる。最近はグーグルのマップがあるので、新宿からほぼ直線でときわ台に到着。途中で写真を撮りながらでも、2時間かからず!!
・さすがに久々の長距離徒歩で、カラダのなまくらさを実感。
なんか、そんな事で、いろいろ濃い1日だった。。。
CPUの発達、ビデオボードの発達、インターネット・ハイスピード回線の普及などなど、
様々な要素がようやく整いまして、地球のインターネットに本格的映像時代が到来しつつありまおんせん。
でも実は、動画の前に、スチールの写真でも不満は大きく。
写真の楽しみは、『撮る事』と撮ったものを『見る事』という、
大きく分けて2つの面を持っていると思うのですが・・・。
デジタルカメラの進化で、撮る事の環境は大変に整って来ているように思うのです、スチール写真も動画も。。。
しかし、撮った写真を、見られる状態にするところのシステムがまだまだ整っていないのだなと、日々感じておりんす。チャンリンシャン。
◎
【デジタル写真を見る時の不満】
1)カメラから、見る為の環境にデータを持ってゆくのが面倒くさい。
→ テレビにSDカードを入れると、写真を映し出す。。。など、パーソナルな環境にはいくつか便利なシステムも提案されているが、やはり、インターネットに載せる簡易な方法が欲しい。
2)写真のポテンシャルをいかせる、見る環境が整っていない。
→ 昨今は、コンパクトデジカメでも、1000万画素くらいは当たり前なのだが、その画像の大きさを堪能できるだけの見る環境が整っていない。ブログ等にアップできる画像も、撮影時のデータのサイズに比べて、きわめて小さい表示に限られるており、もったいない。
◎
そんな、不満が最近どんどん蓄積している。
特に写真の表示サイズが小さい件に関しては、逆に、「小さい表示でもいい写真」を研究し、その撮り方を開発してゆく方が現実的なのではないかと、考え方を変える必要性をも勧進帳。
でも、そうなると、今手元にある、日本の技術の粋を集めたいいカメラ達の能力発揮の場が・・・。残念きわまりないので、なんとかして、このカメラ達の映し出す映像世界をみんなで共有できるシステムを構築したい!!
◎
そんな中、各所で、写真共有を研究している情報を耳にしている。
今後、急速にいろんなサービスがでてこいシャザーン!!!!
うひひ。
私の不満はきっと多くの不満だと思うので、なにか、この不満解消に、私も動いてみてね、成果を上げたいものであるんば。サンバ、バチャータ!!
てゆー。
魔人の会、魔人の回、魔人の界、魔人の怪、魔人の解、魔人の階、魔人の改。
魔神の会、マジンの会、真人の会、マ人のカイ。
ハラダから、どうでもいい提案です。
昨今、世の中では「テへペロ」が流行っているようですが、そんな最中、わたくしは『ペへテロ』をススメますめでぃあ。
まず、キャリーパミュパミュほどではないですが、テへペロは言いづらい。
「テ」の発音から「へ」の発音に移行する際の移行がうまくいかず、「テーペロ」に聞こえてしまう危険が高いのです。
本来、『てへ!』と「ぺろっ!」の2語、コレはいずれもややテンション高めの単語のはずなのです。その掛け合わせで、テンションは上げ目にて着地のはずのワード「テへペロ」です。
それに対して「テへペロ」のいい損じで出てくる「テーペロ」は。意味不明な言葉ですが、音からしいて意味をイメージしようと思うと「低ペロ」つまり・・・なにがしかの低い事象を表す言葉と受け取られる可能性が高く、テンション高めのワードを発するつもりが、「低い系発言」になってしまうのです。
これは、現代社会の会話において、大変危険な事態と言わざるをえません。
そこで、コレを、「ペへテロ」代替えする事を提案します。
「ペへテロ」になっても、「ペ」と「へ」が並ぶ事によって、「テへペロ」と同様のリエゾン化の危険性をはらんでいる事に変わりありません。
しかし、「ペへテロ」でリエゾンした際に発せられる音は、「ペーテロ」となります。
時を西暦で数える、キリスト教の影響大なる現代社会において、
『ペテロ』といえば、キリスト12弟子のリーダー、シモン・ペテロに他なりません。
そのペテロは、救世主イエスに「ケファ」(石)とのあだ名で呼ばれた人物で、キリスト教の基、石の土台になる人として、運命づけられた人物です。
実際に、現在、世界に大きな影響力を持つ、キリスト教の1つの頂点、バチカン市国。
そのバチカンの統治者がローマ教皇庁な訳ですが、その頂点、ローマ法王こそ、かのイエス・キリストの12弟子の長、ペテロの後継者なのです。
つまり、カトリック教会は、イエスの一番弟子であるペテロの後継者が代々リーダーとなってまとめて来た組織。現在のローマ法王はペテロの後継者なわけでございまして、ペテロとはそのように大きく重要な人物なのでございます。
「ペへテロ」にはそのような歴史的な重みが加味されます。
さらに、バチカンには、キリスト教建築で最大級の建物、サンピエトロ大聖堂がそびえ立っておりますが、これは、ペテロのお墓でございます。
サンピエトロとは、聖・ペテロの意ですね。
世界中の信仰篤いキリスト教徒が、「イエス・キリストが再臨した時にはペテロのようにイエスの近くに侍ってキリストに仕えたい・・・」という思いを寄せまして、この、サン・ピエトロ大聖堂にあるペテロ像の足に接吻いたしますので、ペテロの石で出来たつま先はすり減ってしまって無くなってしまって来ている程であります。それが、「ペテロ」であり、「ペーテロ」という事になりまして「ペへテロ」にまでたどり着きます。
そんな、由緒正しき「ペへテロ」を、おススメします、なうでございます。
人間の、ものの考え方というものは、なかなか変わらない。
つまり、人というものは、なかなか変わらない。
と、いうモノのように思う事もあるが、
実は、考え方なんて、その人がその気になればすぐに、その瞬間にも変わるもので、
この宇宙で一番変えやすいものでもある。と、思う。
だから、考え方を柔軟に変える、成長させるという訓練が、21世紀の自分には必要だと思うし、
人類には、「いい考え方」の訓練が必要だ。
考え方次第で、日本がいい国にもなれば、わるい国にもなる。
世界もしかり。
同じなら、いい考え方で、いい世界にしたい。
井伊直弼。
義理チョコって書いてたら、わら(w)されたぞw
最近は、もう、義理チョコって言わないのかしら。むかしよく義理チョコって言ってたのは、高倉健サンの任侠映画の影響の残響だったとか、そゆこと!? ちがうか・・・。
昨今は、アイドルと呼ばれる歌手が10数人も所属している芸能事務所に居るじゃないですか。
故に、バレンタインとかは、机の上が花盛りになるのですよ。ありがたいことに。
みんな、いろいろに手作りして、大変なんだろうなあ・・・。
しかも、アイドルちゃんたちが、ライブイベントでお客様にチョコとか差し上げるじゃないですか。故に、あたしのバレンタインは11(土)12(日)で大終了。閉会式を迎えていた訳です。
なんか、昨年くらいから、クリスマス感がすごく薄かった話しをよくして。たくさんいただいたのだけど(義理チョコ的なものを)バレンタイン感も薄い感じがして。
これ、どちらもキリスト教歴史由来じゃないですか! (来たよ、いつものネタ系)
クリスマスは、キリストさんの誕生日だし、バレンタインのセントバレンタインのセントは、千と千尋ではなく、セイントだから聖闘士星矢か! ちがーーーーう! いわゆるキリスト教の聖人さん由来でしょ。
キリスト教時代が終わり、メシア再臨時代に入ったから、キリスト教カルチャーが少し影を薄めて来たのではないかと・・・。ま、それはいいか、今は。
そんなこんなで、確かに、ネット見てても、義理チョコって字の並びを見かけないなと。。。
自分が書いたメールの返信でしか見なかったかもと・・・。
義理チョコって、死後?
もう、義理も人情もないって感じ??
そんな感想。チョコ、ありがとうございました。みんなの愛がまいうー。m(_ _)m
人間の視覚認知に客観性を求めるのは難しい。
極端な例を出すと、京極夏彦の「姑獲鳥の夏」のような話しになる。
そこにあっても、見たくないと思えば見えないのが人間の視覚というシステムである。
入って来た信号は、脳で処理して情報を絞って、認識くんに送られる。
昨日、自分が持ち歩いているバッグのあまりの汚さを突如認識して戦慄した。
ま、そのバッグをそのままその後も使っているけどw
よくあるのは、テレビの画面のほこり。
他人の家や、他人のオフィスのテレビ画面のほこりって、よく見える。
しかし、自分ちのテレビは、買ったとき、置いた時の新品のイメージで固定して見ている(認識している)ので、汚れに気付かない!(のだと思っている)
ものを拾う時とかに画面に超接近した時にそれに気付いたりして、驚く。
そのように、人は、自分が見たい様にしかモノを見ないし、
そのように、私の世界は、私の恣意的な想いによって形成されるのだ。
だから、同じ世界に住んでいるのに、すんごく幸せな人と、すんごく不幸だと思っている人と。
全く違う人生を生き、人生観を持つようになるんだねえ。
こわいよね。
で、幸いだよね。
学者じゃないので、本格的には語れないので、雰囲気だけだけどw
この宇宙の性質として、物事は2種の性相を持つでしょ。
上下、右左、表裏、縦横、全体と部分(個)、過去と未来とかね・・・。
太極には陰陽の相がある。
で、陽陰というものの面白いところは、
陽という性質と、陰という性質が、ぽこっ、ぽこっと個別に存在しているのではなくてですね、
まあ、これを男女に例えると解りやすいんですけど、
男の中にも男らしさと女性的な部分があるじゃないですか、染色体も、XYとXX。
数で例えると、陽は1+2。陰は1+1。
だから、陽は3で、陰は2。
陽と陰が、1と2ではないところに、宇宙の妙味があるのだなあと、思うのです。
そうすると、人間の手は、陽陰の和合したカタチだと解ります。
指が2本と3本の和の5本でしょ。
でも、それは片手の話しで、その陽陰の和合の手が左右という対で存在している!
この様に、太極から分かれる陰陽が、また、様々のカタチに相対して和合して、宇宙の曼荼羅を作りあげている。
そして、ついには渋谷に”まんだらけ”がオープンした、と。
こういう宇宙という相の展開なのですね。
国境なんか、胡乱なもので、
あんなの、線からこっちに居る人は幸せになる権利があるけど、
線から向こうの人の事は知らない!
なんて、言ってるのと同じだから、
(それって、日本国憲法前文にすら反するし)
インターネットなんかも使って我他の差すらどんどん無くなっているこの世界で
そんなに長く存在できるものとは思えない。
国境なんて人の作ったものはすぐに無くなる!
それが21世紀だ。
そもそも、僕らの世代は、いろんなものを通して、
人類の未来には地球は1つになると教えられて来た。
SFアニメだったり、映画だったり、ドラえもんでも僕たち地球人って歌ってた。
ああいう、子供の頃に毎週刷り込まれるものの影響を過小評価してはいけない。
人類のテクノロジーの進歩は、実は、SF作家が引っ張っている。
人の認識、人の創造力が、宇宙の物質に影響をあたえて、宇宙のカタチが出来るのだ。
それが、神が人のみに与えたもうた神の似姿たる人のチカラである。
『アメリカはお金無いから戦争なんか出来ないんですよ。 あはははは。』
というような会話があった朝のテレビに、母サナエ71才はムッとしていたようだ。
そこで笑える!? と、昼食時に憤慨しておった。
まあ、そこで笑っている人たちは、まだ21世紀に生きていないのかもしれないね。
広島原爆のキノコ雲も見ている、母サナエ71才は、からだは放射線を浴びたかもしれないが、心はけっこう健全なのかもしれない。そして、放射能オンナ母サナエ71才は、今夜も仲間と徹夜マージャンらしい。全然元気な放射能人。
グーグルで「世界史年表」を画像検索してみると、世界史の教科書についていたような歴史年表がいくつか出てくる。
私は、「ある事」を知った後で、ふとこの世界史年表を見た時に、思わず涙がこぼれそうになったのを覚えている。
救世主、メシア、という言葉がある。
世紀末、特にコンピュータゲームRPGの隆盛でこの言葉が一般化したように思っている。特に我々の世代は・・・。
人類史上最も有名な救世主は、ケンシロウでは無く、イエス・キリストだろう。
キリストは、ギリシャ語で救世主を意味する。救世主イエス。
聖書において、人類始祖アダムとエヴァは神の言葉に背き、堕落して楽園を追われてしまった。
人類最初の家庭=アダムとエヴァの子供は、兄が弟を殺すという殺人事件を犯してしまう!
神を親とし、宇宙の喜びの基となるはずの人類は、軌道を逸れて悲しみの存在となってしまった。
夫婦、兄弟・・・人類の愛は歪んでしまったのだ。
この、失われた人類の正しき始祖・父母を取り戻す為の歴史が綴られたのが聖書である。
アダムから2000年を経て、ユダヤの信仰の祖と言われるアブラハムが立つ。
アブラハムは「最愛の息子イサクの命を捧げてでも神の言葉を守る」行動で、
人が神の言葉に背くことで、最愛の息子アダムを失った神の心をなぐさめ、人類始祖復帰の基となる。
アダムの息子達、兄カインと弟アベルは、兄が弟を殺害する悲惨な結末をむかえたが、
アブラハムと一体化したイサクの息子らは艱難を乗り越える。
弟ヤコブは兄と和解し、アダム家庭で失った「兄弟」を取り戻す。
このヤコブの血統が、イスラエルと呼ばれるようになり、
神が、失われし人類始祖アダムに変わる男性、救世主メシアを送る為の母体になる。
アブラハム、イサク、ヤコブ、から2000年後、アダムから4000年後に来たのが、
救世主イエスであった。
メシア降臨・・・。
全ての道はローマに通ず。
世界史の年表を見ても圧倒的な面積を持つローマ帝国。
こうの広大な帝国は、まぎれも無く、
救世主イエス=正しき愛の真の父が携えてくる、真の愛の思想を伝播する為に
天が整えたものでは無かったか。
ローマ帝国の道を通じて、メシア到来の知らせは世界を駆け巡るはずではなかったか。
しかし、救世主イエス=再来のアダムは、妻を迎える事無く、
その真の愛の実を地上で結ぶ事無く、十字架にかけられた。
アダムに変わって、真の愛の父母の使命を果たせなかったイエスは、故に、
「わたしはもう一度来る」という言葉を残して天に昇った。
メシアは、人類父母の使命を果たせなかった故に、再来する必要があるのだ。
再臨・・・。
故に、イエスを奉じるキリスト教は、再臨のメシアを待つ宗教となった。
キリスト教の祈りの言葉は「主イエス・キリストよ来りませ!」で、結ばれる事になった。
来たりませ、来たりませ! アダムの再来、生命の木、キリストよもう一度来たりませ!
それが、キリスト教徒の切なる願いである。
アダムから2000年後に、アブラハム、イサク、ヤコブが立ち、
アブラハムから2000年後にイエス・キリストが立ち、
イエス・キリストから2000年。
それが、西暦2000年の意味するところである。
かつて、ユダや民族・イスラエルの中に生まれたイエスの思想を伝播する為に、
ローマ帝国が用意された。
2000年後、今ローマ帝国を標榜するのがアメリカ合衆国では無いか。
メシアの到来を知らせる準備。
2000年前はローマの道であった。
いま、アメリカは、その思想を伝播する為の世界各国への影響力、公用語たる英語、
さらには、メシア到来を光のスピードで世界に知らせるインターネットの普及。
ローマ、アメリカ合衆国の使命。
と、まあ、母サナエ71才が、気学・方位学をたしなむ友人から、
「アメリカ合衆国は永遠に繁栄する国家領土の相があるんだって・・・」
と、話してくるから、アメリカの使命と天の計画について説明させていただいたのでした。。。
宇宙は、進化する。
人類も宇宙の一部である限り、進化の流れからは逃れられない。
人類は進化する定めである。
そして、
人類が宇宙の一部であるという事の、一段階「上」の事実を知ったとき、
さらなる人類進化の理由にたどり着く。
それが必然である事に・・・。
決定必定 無上正覚
量子力学の中心が人類であることの真実。
最近、食べるものが何でもかんでもめちゃくちゃおいしい。
日本に流通する食材レベルがとうとう頂点に達したのか・・・いやそれは可能性的にはいろいろ難があるか・・・と、すると。
舌が肥える・・・と言う表現がある。
美味しい食物に慣れてしまい、一定レベル以下の味の料理を受け付けなくなると言う状態だ。幸せなようで、実は不幸せだと思う。
私は幸運にも、料理では無く舌の方が進化を遂げて(きっと、たぶん)しまったようで、最近は何を食べても妙にうまい! 昨夜の魚民でも、見た目が写真と違うので嘆いたが、料理自体の味を問題にしているのではない。w
特に高円寺で食事をしていると、おいおいこれよりうまいもんちょっと世の中に存在しないぞ! 俺は今確実に地球で最もうまい食い物の1つを食べている確信がある!! ぐらいに思いつつ(口には出さないけど)食べている事がしょっちゅうだ。
世の中にある料理や食材を全部美味しくするよりも、自分の舌の方を進化させる方が効率がいい。
口に入るものの方をどうにかしようとすると、自分がいつ何を食べるか解らないから、正直、手の施し様がない! でも、自分の食のポータルである舌を進化させればこれで全ては解決だ。おれ、めちゃくちゃ効率いい!!w
何がうまいかって言うと、帰宅して残り物の飯(ライス)に、なんか鍋に残っている豆腐の破片が入った汁をかけて食べる・・・これが異様にうまかったり、
あと、スターポップのワンマンの時に空から振って来たマシュマロ! これがまだ事務所のアメ入れに残っていたのでちょっといただいたら、それも異様にうまくって2つ食べちゃったり。
まず、口に入れるものはすべてめちゃくちゃうまい。
この舌の進化は、すなわち味覚を判断している脳の進化だと思う。
アタシの脳は、色んなニューロンがつながっちゃって、どんな食物の刺激も「うまみ」にして伝達できるレベルに達してしまったのだと思う。
この脳内ニューロン結合をアプリにして、全人類に無料で配布したい。iアプリかなんかでw
そんな、マイ幸せ進化のお話し。
ありがたいですね。
ありがとう。
実は、生(ナマ)もの全般(コンサートとか、演劇とか、ナマで観覧する系)が、昔から大の苦手だったわたくしが、何かに魅せられて、週に3回も4回もライブステージをやる業界に身を置かせてもらっています。
生ものが苦手なのは、お客さん側にも多くの事が求められるでしょ。参加を求められる感じ・・・。それがイヤだったのです。
映画を見に行ってつまらなかったら、ああ、つまらないなと心の中で思って。でも、もしかしてもうちょっと見ていると面白い展開になるかも・・・と、思いつつエンディングまでつまらないのがほとんどだけど。映画はそんな感じで済むじゃないですか。
でも、生ものは、なんか、へったくそと思っても拍手しないといけない空気だったり・・・(まあ、しなければいいんだけど)そういうのがとってもイヤだったので、行かないようにしていたのです。まあ、とりたてて見に行きたい生ものもなかったんだけど。
小澤征爾さんのコンサートくらいでした、行くのは。。。
それが、「ライブアイドル」などとも呼ばれるナマ中心のところに居るので、驚きです。
それでも、もう、なんのかんので何年か居て。。。
そして、ライブアイドルの事務所のスタッフだからって所属ユニットのステージを全部見られる訳でもなかったりしてw。裏で必至に物販の用意をしたりしてる時間であったりしましてねw。
それが、ここ何回かのライブのうち、2回ぐらいかな。(ビデオカメラ録画の役目を仰せつかる時期になり、ステージ中客席に居る事が多くなった時期であったからだとも思いますが)
『ああ、今日はコンサートやったな』という、ボリューム感というか、充実感を味わう事があり。。。最初はそれが、30分枠で6曲のFeamだったから、
「ああ、やっぱ30分も出来るといいんだなあ・・・25分と30分はずいぶんと違うんだなあ・・・」
とかって思ってたんですが、先回は25分ステージだったにも関わらず、その満腹感を感じられたのです。それで初めて感じたのが、
「ああ、セットリストって、とっても大事ね・・・」という、ね。今頃w
もちろん、あれです。ライブの妙味は、場の空気、お客様の雰囲気、ユニットの調子、PAさんとの愛称、などなどなど、無数の要素が絡み合って、毎回が1回性の、ただ一度の体験なわけで・・・。セットリストだけで全てが決まる訳ではないのですが・・・。
そうなんです、29日の事だったんですけど。ニコ生の放送の3曲歌唱があり、夜の渋谷でのステージが有り、その2つのセットリストの内、2曲、かぶっている曲があったので・・・いろいろ考えた上での事だったんですが・・・あ、やっぱ2曲の被りはまずかったかな・・・とか、思っていたりもしたんですが・・・。結果として、なんか、夜は満腹感のあるステージだったのです。
お客様の感想はどんなだったのでしょう。直接はうかがってませんが、でも、客席の盛り上がりを見れば聞かずともわかります。すごい一体感で、ホール全体が楽しい空気で満ちてました。
そんな事で、セットリストが大事なんじゃないかな・・・って、思い始めましたっていう、アタシの成長の記録。
まだまだ勉強不足で、楽曲をセットリストっていう流れでは捉えられないのですよ、私は。大好きな曲が入っているか入っていないか・・・っていう、点での判断しかなくて、セトリという流れでの解釈がまだ皆無。
生ビールも、最近すきです。
運勢というものがあります。
宇宙は平坦に均一的に存在してなくて、波が有る。
春があり、夏があり、秋があり、モト冬樹がいる。
そしてまた、春が来ると。
年が変わる事で、運勢が変わります。
その運勢の波が、10年毎にもあります。傾向が変わる訳ですね。
黒だったものが、白になる。でも一線をひいて、そこを境にカツって白黒変わるのでは無くて、
黒からだんだん薄れて白くなって行く・・・という、グラデーションがある訳です。
2001年から、21世紀。
100年毎の世紀変わりの傾向と、
1000年周期の変化と。とにかくいつもの年の変わり目よりは相当に大きな変化があると考えられる節目な訳です。
話しが変わりますが、姓名判断の先生のお話しを聞きますと、
改名ってするじゃないですか。
でも改名しても、すぐには新しい名前の運勢にならないらしいんです。
しっかり効果が出るのに、新しい名前の波動に変化するのに、10年って言うんですね。
なるほど、10年一昔。ものの傾向が変わるには10年くらいかかるよねって。
それを当てはめると、2001年になったからって、途端に21世紀の空気にならない訳ですよね。
まだ、圧倒的に前世紀の空気が濃い。そこに、新しい空気の風が吹き始めると考える。
そうすると、「ああ、20世紀の空気じゃなくて、新しい21世紀の空気が香り始めたな」ってなるのに10年の経過が必要と思うと、2011年。
2011年くらいから、目に見えて21世紀風とか、21世紀型が、世の中に出てくるのだなと思ったのです。
そしてね、「石の上にも三年」。
冷たい石の上でも、三年も座っていると石があったかくなる。っていう言葉。
2011年から3年間。21世紀を「石の上にも三年」ってやっていると、ようやく21世紀の空気の下で、21世紀の型から作られたものが世の中に行き届き始める。
21世紀の熱が全体に伝わる。
という、タイミング感なんじゃないかなと。
だから、2013は、大きな変化が起こるタイミングだと思っています。
いや今も、日々、すごい変化のうねりがあるのですよきっと。私なんかこれっぽっちも知らない無数の分野や、無数の人の心の中での変化が。
それが、バン!と形になって、誰にも解るカタチで、加速して表層定着するのが、2013年。
だろうなと。